2021.11.8 第1章~1話:運命の出会い

<現在、全話を修正中!少しづつ公開していきます!>

いきなり話は過去にさかのぼる事、随分前の2002年3月~
(注:この1話だけちょっと長いですが最後までお付き合い頂けると幸いです)

私は当時、バンド活動が本業でした。

ジャンルはミクスチャーロックって呼ばれるタイプのものでツインボーカル<下の動画、主に右側の坊主頭が当時の自分>、7弦ギター、アップライトベース、ドラム、DJという6人編成の叫んだり歌ったりラップしたり・・・なんでもありの重くてうるさい音楽を本気でやってました。

↓が当時のライブ動画(帰国後ですが)です。冒頭2分のDJソロ後にLIVEが始まります。ラスト5分(29分50秒あたりから)、やりたい放題やって会場内が凄い事になってしまい「こりゃ出禁になるかも」って思いながら歌ってました(笑)これぞロックだ、よくやったと逆に褒めて下さった寛大なライブハウスの店長に感謝です。

しかし音楽だけでは生活が出来なかった為、昼(9時~17時)と夜(18時~2時)、日に2つのアルバイトを毎日していました。

当時、私は29歳。30歳を目前に人生について悩んでいました。
果たして人としてこのままバンドを続けてても本当に良いのだろうか!?
辞めて真面目に働いた方が良いのでは!?

でもCDの発売が決まったりライブのお客さんもどんどん増えていたので活動が軌道に乗っていない訳ではなく・・・むしろ毎日が全然楽しい!!

ですが、そんな微妙な時期に不景気のあおりを受け、ほぼ同時に2つのアルバイトを急に辞めなければならなくなってしまいました。

晴れて無職。いきなり無職
退職金も失業保険も出ない無職です。
人生の中で無職になる機会なんて、そうそうあるものではありません。

30歳目前という微妙な時期に「無職」という境遇に暗くなるのは簡単ですが、
いや、それじゃあダメだ!
<せっかく無職になったのだから!>と前向きに考えるようにしました。

昔からアメリカ一人旅をするのが夢の中の一つであった為、こんなチャンス滅多にないかも!無職をいい事にバンドのみんなから休みをもらってアメリカへ一人で旅をする事にしちゃいました。

貯金など無い為、わずかなお金を握りしめ私は成田→ロス→ポートランド→NY→成田 のチケットを試行錯誤の上、6万9千円で入手。
これらを一ヶ月で回るスケジュールを立て単身渡米。
ちなみに英語はかたことですが、なんとかなるだろうという根拠の無い自信だけはなぜかありました。

LAでは友人宅とサンタモニカのユースホステル(1泊約2500円)無国籍6人部屋に宿泊。レンタカーを借り一人で観光へ出発したのですが、初めての左ハンドルと右側通行、まったく慣れてません。

なんとかなるだろうと思いながら運転していたのですが、気づいたら日本のように左側の車線を走ってしまい(つまり逆走)真っ黒に日焼けした巨人が乗るどデカイ低音でHIPHOPを鳴らしているオープンカーに正面衝突しそうになってしまい!

なんとか避け切ったものの・・・

あっちはすんごい大声で、マシンガンの用な勢いで怒鳴っている上にりんごまで投げてきまして!!

ひえ~
おまけに中指まで突き立てながら「FUCK!YOU!!なんちゃら〜!!」ってはるか彼方へ見えなくなるまでその黒い巨人は怒鳴っていました。
映画みたいなワンシーンでしたね。

そのまま本場のアウトレットモールへ行こうと思いフリーウェイ(無料高速道路)に乗ったのですが。間違った方向に全力で進んでいた事に気付かず直進し続けアウトレットモールには辿り着けず・・・着いた所は果てしなき荒野。そこで小用をたそうとした私の目に飛びこんで来たのは・・・

「注意!ガラガラ蛇&毒蜘蛛!!」の看板が。。

周りは見渡す限り荒野で何もありません。今、突然何かに襲われて殺されても永遠に誰にも気づいてもらえなさそうな場所です。

それ位に周りには何もなく誰もいませんでした。急にとてつもなく恐ろしくなりダッシュで逃走。(後で調べたらロスパドレス近辺でサンタモニカから150キロ程の場所まで行ってました)

なんとか道を間違えながらもサンタモニカのユースホステルに戻ったその夜、再び車で友人の手書きの地図のみを頼りに現地で知り合った友人宅を目指しドライブ・・・

しかし・・・フリーウェイが7車線で曲がりたくても車線変更が間に合わず、とんでもない方向へ問答無用で進まざるを得なくなり・・・

遠くに見えていた時は物凄くでかい建造物だと思っていた虹のような形をしていた変な物体がどんどん近づいてきて、それはいずれ自分が進まなければならない物凄い勾配のきつい「橋」であると気づいた頃には橋は始まっており、

「まじか!これ橋なの!?」とビビリながら登りきり、今度は下りがはじまり・・・(ほぼジェットコースター)辿り着いた終点は・・・真っ暗な埠頭でした。

真っ暗な埠頭なんて映画でしか観た事がないですし、犯罪者が好きそうなシュチュエーションですよね・・・公衆電話が10台位並んでいたのですが、なぜか全部壊れていて・・・
なんか怖いから帰ろうとしたら遠くで

ぱぁん!

なんていう銃声を聞いてしまい、再び真っ青&脇汗びっしょりでダッシュで逃走。(後で調べたら60セカンズという映画のクライマックスで使われたロングビーチのでっかくて有名な橋でした。この時点でサンタモニカから約40キロ)

しかし、戻る方向を大きく間違えた事に気づかずフリーウェイを全力で進んでいると・・・気づいた時には進めば進むほど夜なのに気温がなぜか上がっていき地名がテキーラの名前みたいな感じになってきたあたりで、かなり南部まで来てしまった事に気づき、

「またやっちまった~」とフリーウェイをなんとか降りUターンしてガソリンを入れようと立ち寄ったガソリンスタンドの売店でコーラを買おうとしたのですが・・・・

売店を一周回っても入り口がなく!パチンコの景品交換所のようになっている始末。
(つまり治安が悪い為に店員とは外からマイクでガラス越しに会話。引き出しからお金を入れ、品物と交換するシステム)

とんでもない所に来ちゃったんじゃないか!?と思った瞬間に肌が黒めの2人対メキシコ系の方々5人の大喧嘩が始まり・・・

包丁のような大きさのナイフを相手の首もとに突きつけているのを目の前で見てしまい、なんか凄いものを見てしまい頭の理解が追いつかず・・・でも絶対に速攻で逃げた方がいい!とだけ判断できたのでガソリンを入れられずに再び真っ青&脇汗だらだらで逃走。(サンクレメンテ周辺かと。サンタモニカから約70キロ)

今度こそサンタモニカへ帰るつもりがまたもや微妙に方向を間違えたようで・・・

本来なら宿泊先のあるサンタモニカから遥か東にあるはずのディズニーランドが自分の走ってる道のすぐ左側に見えた時には我ながら頭を抱えました。(地図が無かったので直進したらアナハイム、左がアーバインとか看板に書かれても何がなんだかわかりません)

そしてガソリンが本当に無くなりそうになったので仕方なくフリーウェイを降りてガソリンスタンドを探す事に。

アナハイムってガンダムが好きな人だったら絶対にときめく地名なんですけどね。全然嬉しくない。

フリーウェイを降りると、クソでかいカジノがあったのですがそこの茂み一帯全部にゾンビの群れようにホームレスの物凄い数の集団がうわ~〜〜〜〜っといたので、ここはやばいぞ!

でもガソリンもない!車が止まったら本当にやばいぞ!急いでガソリンを入れて脱出しなくては!とすぐ近くに偶然あったガソリンスタンドへ。

そこで、いきなり2メートル近くあるゴリマッチョで刺青ぎっしりの酔っ払い3人組に絡まれまして(逃げても周りはゾンビだらけですから何処にも逃げられなかったんですよ。もう世も末ですよ。

命の危険を本当に感じました、というか「あ、死んだ」と思いました(一応、自分は空手道暦10年で二段所持、全国大会ベスト8(流派の大会)なんですがまったく勝てる気がしませんでした)が、、、

しかし!よ〜く話してみると(ゴリマッチョ達はかなり酔ってたので何を言ってるのか全然わからなかったんですが、だからと言って聞き返すのも怖いので・・・もう全てが地獄でした)

どうやら刺青ゴリマッチョ達は、こんな非道いエリアに変な金髪のアジア人のガキが一人でいるってのはやべーぞ、たぶん道に迷ったんじゃね!?

<当時、こんなんだったんで・・・(撮影はLAのクラブにて)>

心配して声をかけて来ただけ!実は超いい奴らだった!でもまじで殺されると思ったぞ!お前らにな!というような経験をして〜

無事にガソリンを入れた帰り道に、安心したせいか人は見かけで判断しちゃ駄目だ〜!となんか感動して鼻水ダラダラたらし泣きながら運転して無事に宿に着けました。

・・・ 他にも変なおばちゃんの車にぶつけちゃって酷い目にあったり色々あったのですが割愛しまして〜LAを発ちオレゴン州はポートランドへ。

ちなみにこの当時、起業なんてまったく考えていませんでした。

ただの観光&数年ぶりに語学留学で渡米した高校時代の友人に会うついでに、ポートランドへ行きました。
しかしこのポートランドってとこは治安も良く素晴らしい所なのですが観光で行くには(なんにもないんです。)

で、めぼしい観光地もないのか友人が苦し紛れに連れて行ってくれたのが
「サタデーマーケット」
という週末にだけ行われるフリーマーケットのようなイベントでした。

ここで!
このまったく何の期待もしていなかったこの地のお祭りで!
私は運命の出会い(?)をしてしまったのでした。

つづく

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