『東方の大震災』
皆さん覚えてますか!?
東京では電車が全て止まったので大勢の方が徒歩で帰宅された為に幹線道路は人々で埋まり、道は大渋滞で隙間なく車で埋まり、テレビをつければ全ての番組が放映中止となり延々と洪水や津波の映像が流れ、ガソリンスタンドからはガソリンが消え、スーパーにも食べ物が無くなり、いったいこんな状況がいつまで続くのだろう・・・?
そんな今まで経験した事のない完全な非常事態が何日も続きました。
世の中が完全に停止し、いったいこれから日本はどうなるのだろう?
材料を仕入れる事も出来ないので商品を作る事も出来ず、アルバイトの方やスタッフには休んでもらいました。
2週間程で東京は少しづつ通常モードに戻りつつあり・・・
(テレビはずっと津波の映像が繰り返され、普通のテレビ番組は自粛の為に放映中止。
延々とニュースやJCのCMが繰り返し放送されていました)
ガソリンも少しづつ販売されるようになった事でスーパーにも少しづつ食べ物が置かれるようになり、
人々も少しづつ家から外へ出るようになりました。
こうなるとスタッフはお金がやはり必要なので働かせて欲しい、アルバイトの皆さんからも仕事ありませんか?と連絡が来るのですが加盟店から発注が来ないので、せいぜい弊店分の販売分があれば足りるのですが、時期的にそんなにお客様もいらっしゃらないので大量の枚数が必要な訳でもなく・・・
とはいえ、いつ加盟店から発注が来るからわからないので少しづつ製造を再開しました。
日本中が東北の被災者の方々に対しての気遣いで騒ぐのは不謹慎だ!という流れになり、お祭りやイベントは自粛して中止、元々が賑やかしを作るという意味合いもあるスーパーやホームセンターでの移動販売車の営業活動も不謹慎だから自粛!となり営業が出来なくなりました。
終わらない自粛。
日本中が自粛。
つまり日本中でお祭りやイベントが軒並み中止、
平日もスーパーやホームセンターで営業をする事も出来なくなりました。
移動販売車を稼働させようにも営業する場所が何処にも無いので売りに行く事が出来ません。
これは東京の弊店だけでなく、日本中の移動販売車の加盟店も同じでした。
数少ない固定店舗、宮城県の多賀城店もとても営業できる状態ではなくなってしまい閉店・・・
つまり商品の発注が全く来なくなってしまったのです・・・
どうすればいい?
重すぎて誰にも相談できません。
発注が全く来ない・・・
でもスタッフは働かせて欲しいと言う。
生地を作っても余って廃棄。
売上(収入)が無いのに人件費、家賃や光熱費、銀行返済などの支払いは避けられないので、お金が吹き飛んで行きます・・・
ずるずると会社のお金がなくなっていき、自分の貯金の持ち出しでも足りなくなり、キャッシングも全力でやりました。
1500枚近くあった大好きな音楽のCDコレクション、本や漫画、その他の自分の所持する物で売れるものは全て売って、みんなのお給料を作りました。
自分の所持財産も0になり、自分の住んでいたマンションの家賃も払えなくなる事が確定。
もうこれ以上自粛が終わるのを待っていても、それ以前に従業員に支払えるお金が完全に無くなってしまいました。もう持ちこたえられない。
もっと早くに見切りをつけて、スタッフ全員に事情を説明して謝って早めに辞めてもらうのが正しかったのでしょうけど、もしかしたら来週には『自粛解禁!』みたいな事が起きるのでは?などと甘い期待をしてしまったせいで、ずるずると引きずってしまい・・・
結局は辞めてもらったのですが結果的にはお給料の支払いが遅れてしまい・・・大事な従業員にまで迷惑をかける事になってしまいました。
(あの時期に支払いが遅れてしまった皆さん、本当に申し訳ございませんでした)
『対局を見誤る』とはこういう事を言うのか。
出資者に相談(一人の方)しても→何も手が打てないな〜会社に寝るしかないんじゃないか。との事。
あとは倒産させるか。
しかしあれだけの方が美味しいと言ってくださっていたのに、今これを終わらせるのは勿体ない!
執着なのか?
なんなのか、今だにわかりません。
こうして私はマンションを引き払い、工場のはじっこで寝泊まりする日々が始まりました。
(住んでいた部屋を出る事が決まった時、人生が終わるような気がして丸3日眠れず体調とかメンタルとか全てがおかしくなっていたのを今でも覚えてます)
住む家が無いのですからホームレス(?)になっちゃったんですかね・・・
ただ幸いな事に自分には店、工場、パソコン1台、移動販売車が1台だけ残っていました。
親以外の友人知人全員にも内緒にしてましたが。
近所に住んでいる友達には引っ越した、と伝えてました。
工場は人が住むような環境ではありませんでしたが、一応建物の中であり屋根はあったので雨風はしのげました。
エアコンは無いし、お風呂もありません。
銭湯は近くにありましたが、銭湯へ行くお金が無い!
お米を買うお金も無いし、それ以前に炊飯器は売ってしまいました。
頻繁にかかってくる支払い催促の電話。
電話が鳴る度に怯えていました。
もう生きている事に意味があるのだろうか?
そんな事を考えた事もあったような。
こうして人生初のホームレス生活が始まりました。
幸い、象の耳を作る材料だけは大量に残っていたので小麦粉だけはありました。
水でこねて焼いて塩をかければ、さっぱり味のお好み焼き味の出来上がり・・・でも美味しくはありませんでしたが贅沢は言えません。
これで飢えは満たせました。
落ち込んでお金になるのなら良かったのですが、どれだけ悲しんでも嘆いてもお金は生まれません。
日に日にホームレスという現実、先が見えない不安、取り立ての電話に怯える日々に押しつぶされそうになり究極の2択しか無いように思えてきました。
死ぬ or 象の耳
真剣に・・・
今、自分が死んだら誰に迷惑がかかるか?
誰が得をして損をするのか?
ご迷惑を掛けた方々へのお詫びになるのか?
そんな事を最初は毎日考えてました。
ですが、どう考えても楽になれるのは自分だけで、
あとは全ての方々にとってプラスにならないのでは!?
お詫びしたいのに、それではダメじゃないか!
ご迷惑をお掛けした事はちゃんと謝って恩で返すべきじゃないのか?
散々自問自答した結果、たどり着いた答えは、
『死んでお詫びをする(自分が逃げて楽になる)』
ではなく、
『ここから這い上がる事』
まだ自分には象の耳があるじゃないか!お金を得る為に営業できる場所を探して象の耳を売りに行こう!
死ぬ事を諦めた自分に進む道は一つしかありませんでした。
第三章<完>