2022.11.23 第2章~5話:CDが全国発売される。

そしてこの時期、本業であったバンド活動もうまく行きかけており・・・

って、ここから先はバンドのお話がメインとなるので、象の耳のお話の続きのみに興味がある方は次の6話へ飛んでください。

渋谷にあるasiaというクラブが事務所をたちあげ、タワーレコード系列と提携しミクスチャーロックのコンピレーションCD(1バンド1曲づつ入れて、15バンドで15曲みたいなCD。オムニバスCDとも言う)を作成するらしいという噂を聞きオーディションに応募。

見事にオーディションに合格し!自分のバンドの1曲がこのCDに入り日本中のタワーレコード、新星堂、TSUTAYA系列で販売される事に!

このアルバムを聞いたメジャー大手会社から契約の話が来て契約できれば念願のメジャーデビューとなる訳で。
夢が叶うまであともう少し!

空手をやっていた時は全国大会で優勝する!みたいな目標があったのですがそれも叶わず、大学の部活に入っていた時(2浪して大学に入ったので)も高校時代のライバルが3年生になっており各大学の空手道部の主将になっていて、そしてみんな全日本に入っていく訳なのですが・・・ざっと数えても日本中に自分がどう頑張っても勝てそうにない強者が何十人もいたので全日本に入っても1軍は絶対に無理でした。頂点には全然立てなかったのです。

当時はK-1もまだ存在しておらず、実業団に入って空手を続けても怪我をしたら終わりですしお給料も決して良くありません。
空手人生には先が見えたのと、夢の一つにバンドでメジャーデビュー!があったので諦めるのはまだ早い!と実は自分がバンド活動を本格的に始めたのは25歳、メンバーが揃ったのが27の時、その後〜約3年でCDデビューです。決して悪くはありません。

そして私には好きなアーティスト、バンドが沢山います。
基本はロック、ハードロック、メタル、スラッシュ、デス、ミクスチャー、HIP-HOP、R&B、JAZZも実は大好きなのですが邦楽でも好きなユニットがいました。

当時、テレビにも沢山出演してましたし、様々な番組の主題歌やエンディングテーマでも曲が使われており・・・意外だとよく言われるのですがその女性ユニットの名は「KIX-S」。

アルバムを8枚発売しており、ネットで調べていると活動を停止していたのですがKIX-SのHPにはBBSという掲示板があり、そこにはファンの方々がKIX-Sをどれだけ好きか、どのアルバムが好きか、どの曲が好きか、思い思いの事を書いていたのでそれを読んでみると・・・

最後のアルバム(難解な為に問題作と捉える人が多数)を好きだという人が1人もいなかったのですが自分は最後のアルバムが最高傑作だと思っていたので・・・自分はそのBBSに「誰がなんと言おうと最後のアルバムが最高傑作だ。」と、理由等を思うがままに書き連ねました。
そして最後に匿名ではなく、自分の実名とメールアドレス、うちのバンドのHPのURLも記載し文句がある奴はかかってこい。位の勢いで書き込みました。

翌日、「安宅美春」という方からメールが来ました。
KIX-Sのギターの方と同じ名前です。

まさか、誰かのいたずらだろう・・・そう思ったのですが、内容は最後のアルバムを褒めて下さってありがとう、あれ以上はもう出来ない位に搾り出して作ったのに評判が良くなくてとても悲しく感じていた事、うちのHPを見て曲を聴いた事、かっこいいと感じた事、CD発売されるとの事でレコ発ライブに行って良いでしょうか、との事。

え!?

ご本人様が来るの??
まさか。

そう思い、当時このメールは誰かのいたずらだろうと思ったのですが一応、可能性的に無い訳ではないのでまさかと思いそれなりに薄い返事は出しました。

そして上記に書いたコンピレーションCDのレコ発LIVEが渋谷のブエノス東京で行われました。
沢山の方が来て下さり本当に嬉しかったのですが、LIVEが終わってフロアに出るとレコ発祝いのシャンパンを持って来てくださった安宅美春さんご本人様がいるではないですか!!

まじか!!ご本人様だ!!

こうしてこの後、うちのバンドのイベントには安宅さんがKIX-Sを辞めた後に結成されたバンドでうちより前に何度も演奏して下さったり、KIX-Sが4人編成で名前を変え再出発する時の1発目のライブでは、うちのバンドの前に演奏してKIX-Sの曲を何曲も演ってくれた時とかリハからお二人に会えた時とかもう完全に夢が叶った瞬間でした。

そして、そのうちの曲が入ったコンピレーションCDは週間インディーズチャートでは1位になったのですが翌週には陥落。
たいして話題にもならずうちのバンドにメジャーレーベルから声がかかる事はありませんでした・・・

でもここで落ち込むのはまだ早い。
こんなのざらの世界です。

次に向けて頑張ろう!
メジャーデビュー出来なかったので生活費を稼ぐ為に象の耳で頑張らなければ!

こうしてバンドと象の耳の二束の草鞋生活はもう少し続きました。


そう、もう少しで終わる事をこの時はまったく予期していませんでした。

つづく

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